私だけの体験(序章)

 私は19歳頃まで、さまざまな『不思議な』体験をした。具体的には、幽霊や謎のモノを見たり触れたり聴こえてきたり、予知したりといった体験だ。しかし、現在、その体験を自分の中に、折り合いをつけて置いておくことができず、抱えきれなくなった状態が続いている。

 折り合いをつけられない理由としては、体験した人が身近にいないことが大きい。また、そのような存在が信じる人が多いにもかかわらず、信じている人のほとんどは体験したことがない人が多く、私は虚しさを感じる。信じている人のほとんどは、私に「どうやったらそんな体験ができるの?」や、「私も体験してみたいのにな〜」と、素直に思ったことを伝える。そのような思いは、正直私にとって鬱陶しいだけだ。なぜなら、私は体験したくて体験したわけではないし、日常生活に支障が出ることもあったし、共感されず、奇異な目で見られて大変辛かったからだ。恋人に、『不思議な』体験の折り合いがついていないことを相談すると、表現するのが良いのではないかと提案された。たしかに、私だけの体験を表現して客観的に見つめることは、ある意味、非現実となって生々しさが少なくなるのかもしれない。私にとっての『不思議な』体験は生々しさを帯びすぎていて、全く非現実的な体験でなく、私だけでは抱えきれない。

 小説や漫画はフィクションである物語が多いが、リアリティがあり、それに人は共感したり、心が揺さぶられたりする。非現実と現実が、うまく噛み合っているものが表現なのだろうと感じる。だからこそ、あまりにも生々しいものを非現実的に表現することは、少しは私の苦痛が和らぐことなのかもしれないと、淡い期待を抱いている。

 私の表現の仕方は、文章よりも絵など非言語的に表す方が性に合っている。なので、このブログで私の体験は、メモやプロットのようなものと言える。大学院生活が忙しいため、絵に表現する時はいつになるのかわからないが、私の中から消えることはないので、急がずメモをたくさん記しておこうと思う。思い出した順で書くので、時系列はバラバラだが、メモ程度のものを楽しんで読んでいただければ幸いである。