私だけの体験 第1話 

 第1話は、水晶の体験か、お盆に見た生々しい女性の幽霊のどちらにしようか迷う。

 とりあえず、女性の幽霊の方は私にとってそれほどインパクトがない体験なので、第2話に記そうと思う。

 

 小学校高学年か中学1年生の頃か、記憶が定かでないが、何かの用事の帰りに、一戸建ての石屋へ行った。母親は車から降りるまで時間がかかる人なので、私が先に1人で店に入った。その石屋は朗らかで暖かい雰囲気で、オシャレな店だった。女性の店員が2人いて、どちらも若い女性で、好きでお店をやって、楽しんでいるという感じだ。客である私にあまり構うことなく、他の先客の相談に乗っていたと思う。私は買い物する時、1人で静かに物を見たいタイプなので、居心地は悪くなかったと感じていたと思う。一戸建ての店ということもあり、さまざまな天然石がぎっしりと詰まって展示されていた。石屋に行くと、よく見かけるタイプの光景だ。(ありすぎて、ただの商品にしか見えないやつ、、、)

 その中で、入店してからすぐ、一際惹かれる水晶があった。透明の水晶で、両手に治るほどの大きさのものである。惹かれるといっても、『あの服可愛いー!』ということではなく、いつの間にか無意識に左手を伸ばしているという感じだ。その瞬間、周りの風景はただの風景であり、水晶と私だけの空間ができていた。

 指が水晶に触れると、今まで体験したことのない、これからも人が体験することのないであろう衝撃を全身で感じた。なんと例えればいいのかわからないが、言語化するなら、頭のてっぺんからつま先まで稲妻が走るような感じだろうか?(実際には頭のてっぺんからつま先ではなかった。)しかし、電流が流れるというような感じでもなく、生姜湯を飲んだ時のイメージというか、、、スパイスを帯びていて、やや暖かい感じ?

 その衝撃を感じて、自分の意識がはっきりすると、反射で指を離した。その時は、奴は自分自身と同じ、ドッペルゲンガーだと感じたが、指を離したあとは、ただただその存在が恐ろしかった。奴は私と一体化になることを望んで見つめているようで、私は持って帰った方が良いのかもしれないなと思いつつ、自分の存在が二つあるのは不気味だし、なんとなくお互い近くにいない方が良いと思い、その場を立ち去ろうとした。その頃に母親は店に入ってきた。

 母親には、もう帰るのかと驚かれたが、無機質な物に肉体的な生々しさ、それも自分自身の化身のような存在が目の前にいたら、誰でもその場を立ち去りたくなるだろう。母親は私が時々不思議な体験をすることを知っていたので、私は今あったことをここで話した。すると、母親は店員にそのようなことはよくあるのかと、尋ねた。店員は驚いた表情をし、すぐに不気味そうに苦笑いして感情を抑える努力をしていた。『いや、そういったことはないですけど・・・』と店員は返答していた。私は当たり前だろと思った。そんなことを誰でも彼でも体験していたら、もっと話題になっていると思う。店を出て帰った。

 

私だけの体験(序章)

 私は19歳頃まで、さまざまな『不思議な』体験をした。具体的には、幽霊や謎のモノを見たり触れたり聴こえてきたり、予知したりといった体験だ。しかし、現在、その体験を自分の中に、折り合いをつけて置いておくことができず、抱えきれなくなった状態が続いている。

 折り合いをつけられない理由としては、体験した人が身近にいないことが大きい。また、そのような存在が信じる人が多いにもかかわらず、信じている人のほとんどは体験したことがない人が多く、私は虚しさを感じる。信じている人のほとんどは、私に「どうやったらそんな体験ができるの?」や、「私も体験してみたいのにな〜」と、素直に思ったことを伝える。そのような思いは、正直私にとって鬱陶しいだけだ。なぜなら、私は体験したくて体験したわけではないし、日常生活に支障が出ることもあったし、共感されず、奇異な目で見られて大変辛かったからだ。恋人に、『不思議な』体験の折り合いがついていないことを相談すると、表現するのが良いのではないかと提案された。たしかに、私だけの体験を表現して客観的に見つめることは、ある意味、非現実となって生々しさが少なくなるのかもしれない。私にとっての『不思議な』体験は生々しさを帯びすぎていて、全く非現実的な体験でなく、私だけでは抱えきれない。

 小説や漫画はフィクションである物語が多いが、リアリティがあり、それに人は共感したり、心が揺さぶられたりする。非現実と現実が、うまく噛み合っているものが表現なのだろうと感じる。だからこそ、あまりにも生々しいものを非現実的に表現することは、少しは私の苦痛が和らぐことなのかもしれないと、淡い期待を抱いている。

 私の表現の仕方は、文章よりも絵など非言語的に表す方が性に合っている。なので、このブログで私の体験は、メモやプロットのようなものと言える。大学院生活が忙しいため、絵に表現する時はいつになるのかわからないが、私の中から消えることはないので、急がずメモをたくさん記しておこうと思う。思い出した順で書くので、時系列はバラバラだが、メモ程度のものを楽しんで読んでいただければ幸いである。

やまもみじ

久しぶりにブログを書こうと思う。

久々すぎて書くことがたくさんある笑

 

 

今は大学院受験の勉強を中心にした生活をしている。とは言っても、勉強のみできる状況にはできないので、色々不満はある。

 

最近、自分の将来について色々考える。進もうとしている道が安定して生きていけると言えない。将来に安定性を第一に求めているというわけではないのだけれども、自分が生きていきたいと思い描いていることを考えるとどうしてもそれなりにお金が必要だ。

具体的に言うと、ナニか(植物や動物、人など)を育て、散歩をし、3食(+おやつ)ちゃんと食べて、恋人と共に歩むということだ。

 

今自分が勉強していることは、食っていけることなのだろうか?大学院を出てちゃんと就職できるのだろうか?勉強が苦手な私でも大学院に合格できるのだろうか?働いて挫折したらどうなるのか?家業をいつまで手伝わなければならないのだろうか?実家を出ていけるのだろうか?大学でのクラブ活動を後輩に全て任せれるようになるのはいつなのだろうか?

などなど、将来と現在の不安や悩みがいっぱいある。それに押しつぶされそうになるときもあるけれども、恋人と電話を繋いだまま生活をしていると、自分1人じゃないんだと感じて立ち向かえる。

 

自立したいのに自立できない、大学院に進むとしてもあと2年は自立できない。経済力も無いため、一人暮らしもできない。そういう話を父親にすると、「俺が職場(家業)で暮らすからお前はここ(実家)で一人暮らしをすれば良い」と言われる。これはどういう意図で言っているのかはわからないが、私には「お前はここに一生いろ。自分の元から離れないでくれ」と言っているように聞こえる。でも、父親は口では「女の子はいつかは家を出るもんだ」と言っている。

私はずっと昔から(小学生か中学生ころ)地元を離れて暮らすと決めていた。だから家業も継がないと家族には言ってあるし、家族もそれで良いと言っている。けれども、最近になって家業の書類上の名義などを祖母→母ではなく、祖母→私にすると言っていたりもする。また、誰が見ても引くほど長い、私の将来設計を事細かく書いたLINEを送ってきたりもしている。(これを見た瞬間に、絶対に実家を出て行くと決めた。)

かと思えば「大学院受かるんか?」と言ってきたりする。

だから余計に混乱する。そして、父親から自立できるのは容易なことじゃ無いんだろうと感じている。

 

一方で母親はと言うと、父親とは対極の考え方をした存在だと言える。

私のやりたいようにやれば良いと言ってくれるのは有り難いが、浪費癖や欲望に忠実すぎて現実的なことを考えられないのは困る。少し相談をしても現実的なアドバイスや気休めの言葉はくれない。スピリチュアル的な考え方が返ってくるだけだ。その考え方を否定しているわけではないが、母親自身の言葉でないためうんざりする。

3人家族+犬2匹で暮らしているが、家族というよりはシェアハウスの同居人という感じだ。正直周囲の人の家庭環境を見ると羨ましいと感じてしまうこともある。

父親は素直ではなく、甘え上手でもなく、自分の考え方を押し付けてきがちな気質だ。それに、なんでも1人でできるし、他人にもそれを求めているという感じだ。

昔の母親は自分にも他人にも素直になれず、天の邪鬼で、人生に行き詰まっていた。祖父が亡くなったことで、天の邪鬼ではなくなった。自分以外のモノ(人、犬など)から愛着を求めて甘えられるのが嫌いみたいだ。

そんな2人から育てられたからか、私は表面的な軽いことは素直だが、自分の深層にある気持ちに対して素直になれないことが多かった。また、人に甘えることはダメなことだと思っていたし、人に甘えている人を見るとイライラしていた。

父親と母親は私が欲しい、欲しくないに関わらず、物を与えることが愛情だと思っているように見える。私はそんなことは望んでいない。

子どもの頃、寝ている母親の背中にくっついたら全力で拒絶されたことがある。曲げずに何回か挑戦したが、全て全力で拒絶された。

もっと小さかった頃は、父親が大好きだったので、父親に甘えに行っていたが、それもやんわりと拒絶されていた。

それがとても悲しくて、私の中に誰にも頼れないんだという孤独感を更に植えつけた。思春期の頃の唯一の心の支えは、子犬の頃から飼っている柴犬の小白だけだった。

今になって、私が親元から離れようとすると母親はともかく、父親は引き止めようとしてくる。小白の最期を看取るまでは一緒に暮らしたいとは思っているが、実家は出たい。この葛藤はまだまだ続く。

小白も、私以外には甘えても駄目なんだと感じているようだ。撫でて欲しいという雰囲気を出しても父親と母親は自分から撫でようとは滅多にしない。私が「撫でてあげたら?」というと撫でるといった始末だ。

もう1匹のプー助に対して父親は自分から撫でようとしていることが多い。母親は甘えてくるプー助をうざがっているが。

今の私は、恋人には素直に甘えられるようになってきていると思う。拒絶されないことがなによりも嬉しい。私は父親と母親のようにはなりたくないと思っている。ちゃんと「素直」に向き合いたい。

 

話を戻すが、そんなこんなで色々な悩みや自分を取り囲む状況に不満はあるが、人生なんとかなると思って生きている(私がなんとかするのだけれども)。別の道に行ってもなんとかなると思う。

育てているやまもみじが最近かなり育ってきている様子を見てブログを書こうと思った。

育てているやまもみじは外で育てているのだが、どれだけ強い風が吹いても、暑くても、ちょっと水をやり忘れても真っ直ぐ生きている。本当はこんな育て方しない方が良いとは思うが、勇気づけられる。笑

f:id:shibari:20210509192559j:imagef:id:shibari:20210509192616j:image

 

 

解放

私は11月23日に前の恋愛の呪縛から解放された。

 

今年の3月に別れた前の恋人に「元カノを忘れられない。元カノの方が良かった。筆者とは正反対の性格と外見でめちゃくちゃタイプの人だった。筆者の服の趣味が無理。」と別れ際に言われたことがあまりにもショックでトラウマとなっていた。

その呪縛を私は心の奥底に封印していた。そして、色々な解釈で自分の頭に理解させていた。

別れた直後はショックのあまり、何も食べれない、何もできないという日が続いたが、周囲の友人たちや、kemioのおかげでなんとか元の生活に戻ることができた。

 

何もできなかった時に、私は様々なことを考え、出た答えが「やっぱり愛が欲しいし、愛したい」だった。私が思う「愛」とは、自分や相手の心を素直に見て分かち合い、新しいナニカを生み出せることだ。もちろん、考えていることはこれだけではない。そう思った私は「私のことを素直に見てくれる人」という条件のもとで1ヶ月だけマッチングアプリをしようと思い、4月末に始めた。マッチングアプリのプロフィールは出来るだけ「私」という人間性を書き込んだ。すると、驚くほどいいねが来た。予想していたよりも来たので、全員のプロフィールを見るのは正直大変だったが、その中で1人だけ他の人とは違う人が居た。その違いが自分の勘違いなのではないかと思い、一度スルーしてみて他の人を見た後にもう一度見たのだが、明らかに違うのだった。自分のその直感に恐怖を抱きつつも、一歩踏み出してコミュニケーションを開始した。少し会話をしただけで「この人だ」と分かった。数週間やりとりをして、緊急事態宣言が解除された後に会ってみることになった。会ってみると更に人間性が分かった。何回か会った後に真剣な告白をされ、交際することになった。会う度に好きという気持ちが増し、私のことを本当に見てくれているということがわかった。そして、人を愛するというのはこういうことなんだということを初めて知った。交際してから3,4ヶ月ほど経った頃、私が封印していたモノがジワジワと意識の中に染み出してきた。

ふと、「この人は前の恋人とのことを自分の中で折り合いをつけられているのだろうか。まだ囚われているのではないだろうか。」ということが心に浮かんだ。

そのことを意識した瞬間、封印していた記憶や感情がどんどん溢れ出てきた。溢れ出てきた記憶や感情は妄想のタネとなり、妄想が広がってしまった。その妄想が現実にも侵食し始め、代用品にされているんじゃないかと思って一人で号泣した日もあった。そして、ついには恋人の前でも私の妄想が顕在化してしまった。このまま放置するのはさすがにマズいと思い、友人に相談したり文字に起こしたりすることで一旦妄想と現実の区別を付けることにした。その後、自分自身が落ち着いて客観視できる状態になってから恋人にこのことをどのように伝えるのかを考えた。しかし、ここ最近はお互い用事があり、ゆっくり話せる機会も無いと思ったため、いつ伝えようかと私は考えていた。そんな時に、今月の22日に恋人が「塀の中の美容室」という漫画を発見し、購読して様々なことを考えたそうだ。恋人が様々なことを考えているうちに、私の最近の様子がおかしい原因が思い浮かんだそうだ。それは、元カノという存在だった。彼自身、最近まで気づいていなかったことがあり、そのことに折り合いをつけることができたようだ。そのことは彼のブログに書いてある。電話を繋ぎっぱなしにしていた彼がそのブログを私に送ってきた。そのブログを読んだ私は、呪縛からだいぶ解放された。私が伝えたかったことが書かれていたのだ。

そして私は、彼に自分が伝えようとしていたことを彼のブログの内容を交えて簡潔に伝えた。お互いに用事があったため、本当に簡潔に伝えた。その日の夜に再度電話するまでに彼は、彼の友人と共に色々推論したようだ。そして、電話を開始した直後に「〇〇(私)に改めて言いたいことが2つある」と言ってきた。私は内心凄くドキドキしながら「なに?」と答えた。

彼が言ったのは、元カノに対しては何も思ってないし、今現れたとしても無理だということ、改めて私が好きだということだった。前者は私の妄想に彼が気づき、私が勘違いをしていると思ったため、私にはっきり伝えなければならないと思って伝えたそうだ。実際、本人の口からはっきり伝えられることで私は呪縛から完全に解放された。今まで前の恋人とのことは、消したい過去だと思ったり、前の恋人との出来事全てに対して憎悪の感情しかなかったのだが、ようやく一出来事として思えるようになった。そして、改めて告白されたことで、私自身も前に進めることができた。

 

その日の夜、夢を見た。天気の良い広大な野原で私が分厚い服のようなモノから脱皮している最中で、私の上半身がまる裸になっている夢だった。残念ながらアラームが鳴り、私の夢はそこで終わっているのだが、目覚めた時に自分が身も心も脱皮できていることが分かった。この感覚は漫画、「惡の華」の第56話〜僕らは願う者なのだ〜に描かれている、主人公が広大な草原でまる裸の状態で大きな惡の華を見つめ、登場人物それぞれの「これからの姿」を夢で見て、夢から覚めた主人公が筆を執るという状況に近い。

 

私は直感的に、私自身の思春期が終わったと感じた。そして、恋人とこれからの人生を共に過ごしたいと改めて思った。

 

幻想

パンドラの箱を開けてしまった。今日は、全てを引き摺り出してしまった。

 

このブログを書くときは大抵気分がひどく落ち込んでいるときだということは自分でも気づいている。

 

高島屋に行って、色々物を見ているうちに思わなくても良いこと(しょうもないこと)を思い始めた。簡単に言うと、元カノからもらった物を今でも使ってるのではないだろうかという疑問である。

 

本当にくだらないことだと自分でも思う。このブログは誰かに見てもらいたくて書いてるわけでもなく、自分の掃き溜めとして使っている。なので、読みたくない人は読まないでほしい。これからもっとしょうもないことを書く。

 

 

 

恋人の誕生日プレゼントを買いに高島屋へ行って、色々見ているうちに、恋人が持っているのと似ている財布を発見してしまった。好奇心から、値段を見た。学生には手が出しにくい値段だった。

そこで、ふと、恋人は自分で買ったというよりも、誰かに貰ったのではないかということが頭に浮かんだ。そこからどんどん妄想が膨らみ、元カノから貰って今でも使っているのではないかというところまで辿り着いた。

 

私自身、恋人から元カノの話を聞くのは、恋人に未練が無ければ良いと思っていたのだが、どうやらそうではないみたいだ。それで今非常に苦しんでいる。自分で自分の首を絞めているようなものだとようやく気づいた。

 

時々、恋人に「それ、元カノも言ってた」と言われたり、少し比較されたりする。その場で嫌と言えばいいのに言えない自分が悪いのだが、溜め込んでこうやって落ち込んでしまう。そして、妄想のタネとなる。

私だってあなたの前では見せないだけで、独りで泣くほど辛いのに。元カノとは違って自分は人に頼れる性格でもないし。とその度に思ってしまう。

 

私自身、元カレとは酷い別れ方をしている。その傷がまだ癒えていない。

「元カノを忘れられない」「元カノがもの凄くタイプだった」「服装がどうしても無理」「元カノと遠距離になったときは新幹線の中でめちゃくちゃ泣いた」と別れ際に言われたことや、私があげたプレゼントを一度も私の前で使ってくれなかったことや、あげた手紙を2ヶ月ほど乱雑に放置されていたことなどがトラウマとなっている。

 

どうせ誰かの代わりなんだろう、と。

 

私に向けてくる欲も誰かで代用できるのだ。

 

私だけ勝手に舞い上がっている。

 

こういう思考がずーっと頭から離れない。

口では未練が無いと言っていても、結局まだ未練があるから(情があるから)元カノとの楽しかったことなどの思い出を語れるのだろうと思う。私にとって、元カレの存在は消したい過去なので羨ましくも思う。ずっと元カノの代わりにされてきた身からすると、疑心暗鬼になってしまう。 

 

とにかく、私は元カレにされたことが今でも癒えていない。

 

恋人がいくら愛を囁いてくれても、元カノには未練は無いし連絡先も知らないと言っても、記憶は無くならない。元カノはしていたのに私はしないこともある。というか、代わりにされているようで私がしたくない。元カノには未練が無くて、物に情があって今も使っているだけだとしても、今の私には耐えられない。使うたびにくれた人の顔を思い出さないのだろうか?と疑問に思う。

そもそも、自分で買ったのか、人から貰ったのかもわからないから確認しようかなとも思ったのだが、どう聞けばいいのかわからない。私は単刀直入に言ってしまうため、雰囲気は絶対悪くなるし、他にも根掘り葉掘り聞きそうである。

 

私が買い物から帰ったら電話しようと言っていたのに友達と電話している。これも3回目くらいだろうか。別に、電話を制限しているわけでは無いのだが、約束を平気で破られるということが悲しい。たとえ小さな約束でも、とても悲しくて辛い。私は結局、寂しさを埋めるためだけの身代わりだったのかな。今までの愛は幻想だったのだろうか。

 

明日と明後日は恋人と会う約束をしているのだが、今の精神状態では会えないと思う。土曜日は恋人と恋人の学校の人たちと一緒に堺市観光をするのだが、それも行けるかどうかわからない。

 

ただ誕生日を祝いたいだけなのに、どうしてこうなってしまうのだろうか。どうして過去の人物に今を左右されなければならないのだろうか。

 

 

 

モノについて恋人に聞くときは覚悟するつもりだ。

南宗寺

今日は南宗寺で茶会があった。茶道部の部員と一緒に行き、私たちはスーツを着て行った。本当は着物を着たいが、着付けを自分でできないのでやめた。

 

南宗寺はとても広い。門をくぐり、墓地を抜けると小さな橋がある。そこをまっすぐ進んだところに茶会の会場はあった。部員と共に中へ入り、茶席についた。茶席は庭園の前の縁側で行われていた。釜が吊り下げられた状態になっており、リュート奏者も居た。9月頃の夜に車の中にあるラジオでリュートで弾いた曲を聴いたことがあり、その時から良い音色の楽器だと思っていたが、今日目の前で聴いてみても改めて良いなと感じた。

真ん中で白と薄緑に分かれているお菓子が運ばれてきた。菓子切りで切るとモチッとしていて切りづらかったがおいしかった。お茶もとてもおいしかった。

お点前が終わると茶道では茶器を客に見せる。この時、客は茶器を実際に手に取って拝見する。今回は色々な茶碗を手に取って見た。おそらく15種類くらいの茶碗を見たと思う。茶碗は青磁のもの、南蛮人と日本人が描かれているもの、蓮の花が描かれているもの、イギリス製や東南アジア製のものなどがあった。茶碗によっては大きいものやこじんまりとしたもの、見た目に反して軽いもの、側面がトゲトゲしていて変わっているものなど実際に手に触れてみてわかる楽しさがあるものもあった。

雨の中、リュートの音色を聴き、石庭とお点前を見ながらお茶を飲むのは幸せだった。最近こころが荒んでいた私だが、何も考えずにその場を楽しむということが自然にできていた。

棗の蓋は象牙でできているもので、手に取ると重かった。茶器を全て見終え、2つ隣の部屋でしていた茶席へと向かった。

もう一つの茶席は立礼だった。お点前が終わると、机に並んでいる茶器を拝見した。こちらの茶席では柄がシンプルな茶碗が多かった。シンプルだが、色がとても綺麗だった。光の加減によって銅色や青色に見える茶碗があり、部員の1人がとても気に入っていた。お盆が皮で出来ているというのに私はとても驚いた。皮でお盆が作れるのか…と。触ってみるとたしかに皮だった。

どうやら、今回の茶会は和洋折衷らしい。それが新鮮であったが何も違和感を感じさせないのが素晴らしいと思った。

 

たった1時間の茶会だったが、得られたものは大きかった。茶席という空間は現実ではあるものの、時の流れを感じさせない空間だと私はいつも思う。茶席に入る前は色々考え事をしていても、一度入ってしまえば全て忘れてしまう。そんな考え事など無かったかのように。

 

これからもたまには茶会に参加しようと思った。

 

f:id:shibari:20201017181724j:imagef:id:shibari:20201017181720j:image

視線

今日は精神的にすごく不安定だった。今日はと言うより、今日までの精神的な疲れが一気に押し寄せてきたのだと思う。最近は大学院入試のことをメインに考えている。部活の引き継ぎがまだ後輩にできていなかったり、自分がやらなくてもいい仕事をしていたりすることがかなりストレスになっている。また、最近飼い始めた野良犬だったプー助のために今日から毎日朝6時〜と、夜7時〜は庭を大改造するのだが、これがまた大変だ。一言で言えば肉体労働。

昨夜、1時半に寝たため、朝5時半に起きて6時から作業をするのは辛かったが、意外と楽しかった。私は肉体労働自体は好きな方なので嫌ではないのだが、院試の勉強をしたいという思いから心的に不快感があった。9時に作業を終え、朝ごはんを食べてから友人との約束の時間まで寝た。少し仮眠を取るつもりが、12時まで寝ていた。約束の時間には間に合わないので、友人に連絡した。1日の予定が狂ったことで私の精神面は一気に崩れた。もう今日は何をやってもダメだと思いながら行き、学校に着いてから友人に電話をかけた。友人は今からゼミがあるから教室前にあるプリントを取って部活の顧問にサインとハンコをもらってきて欲しいと私に言った。私はそれを承諾し、6階までエレベーターで行った。6階の友人がいる教室前まで行く前に他の教室でもゼミをしていた。コロナの影響で全ての教室のドアと窓を開けているため、教室にいると誰が通ったかはすぐにわかる。

他の教室前を私が通った時、なぜかその教室にいた全員が私の方を見ていた(先生も)。後でそこにいた別の友人になぜなのか聞いてみたところ、私の歩き方が独特だったらしい。私はあまり意識していないのだが、小学生低学年の子どものような歩き方をしているとよく言われる。大きく手を振り、足も大きく歩幅をとり、もうすぐ22歳になる大学生には見えない歩き方らしい。それでみんな見ていたということであった。

その教室前を小学生のような歩き方で通り過ぎた後、目的の教室にたどり着いた。だが、なにやら邪魔してはいけないような雰囲気だったので、教室前まで行く勇気はでなかった(直前に別のゼミの全員にガン見されたため)。教室前を少し見渡したあと、プリントが無いと判断したので、友人がいる教室と別のゼミがやっている教室の間にあった空いていた教室で私は友人を待つことにした。荷物を置き、購買でカップ焼きそばを買ってきて、オンライン授業を見ながら独りで食べていた。すると、その教室にマウスを忘れていたらしく、別の先生がいきなり入ってきた。私の横を通りすぎるときにまたガン見された。ムカついたのでガン見仕返してやった。もともとこの先生はこういう先生でみんなから嫌われている先生だとわかっていたが、失礼なヤツだと思った。

もともと精神的にボロボロだった私は、今の私の状況における重圧に耐えられず、泣いて鼻水を垂らしながら焼きそばをすすっていた。えずいたので焼きそばを食べるのを一旦やめた。授業をぼんやりと聞きながら窓を眺めた。窓の外の景色は綺麗だった。

もし私がここで飛び降りたらどうなるんだろう。打ち所が悪くて死ぬか後遺症が残って親族に迷惑をかけるだけになるだろうな。死んだとしてもみんな時が経つに連れて必ず忘れていく。私が抱えていたものなんてあっさり解決されてしまうんだろうな。

とふと思った。授業では人を助けるという講義をしている。障がいを持って生まれた子どもの保護者についての授業だった。客観的に見てわかりやすいことだったらみんなこうやって誰かが助けてくれるんだろうなと思って嫉妬した。もちろん、こんな簡単に言えるようなことではないとは思っているが、とにかく羨ましかった。

死んだってどうにもならない。それは私が過去に身に染みてわかっていることだった。死のうとしたって結局私は生きる道を選んだ。私の身体はまだ生きたいらしい。

授業が終わり、隣の教室にいた友人たちが私がいた教室に来た。その際、プリントなんで取ってないの?と友人に少し怒られた。気づかなかったと私は言ったがそれでも文句を冗談まじりに言っている。普段の私だったら、ごめんごめん〜許してちょんまげなどとふざけた返しをするが、そうはならなかった。八つ当たりをしてしまった。なにを言ったのかはもう覚えてないが、友人にその言い方ちょっとムカつくと言われた。私も悪いと思ったのですぐに謝った。友人は私の心が廃れているとすぐに気づいたようで、相談に乗ってくれた。そのおかげで夕方まで落ち着いて院試の勉強をすることができた。

ギリギリを生きている私は少しでも予定が狂ったりすると凄く不安になってすぐ泣くらしい。もっと余裕を持って生活をしないといけないようだ。まだ余裕はあると思っていたがどうやらそうではなかったみたいだ。

とりあえず明日はまず学校の課題から終わらせよう。