死にかけのゴキブリ

今日はメンタルがめちゃくちゃだ。昨日まではなんとか持ち堪えていたものの、今日朝起きて8時という時間に絶望してしまい、プツンと切れた。(5時に起きて勉強することをまた習慣にしようとしているため)

昨日、他人のために1日を使い、射撃をし、身体的にも精神的にも疲れ切ってしまった。だが、やるべきことはどんどん湧いて出てくる。全てを放り投げたい。無になりたい。疲れ切っているためか、ちょっとのことで悲しくなったり辛くなったりしてしまう。私は人に甘えるのが苦手だ。甘えたって誰も助けてくれない。頼んでも誰も助けてくれないと私は思い込んでしまっている。他人から見ても私は無理をしているように見えるらしく、お手伝いできることがあれば言ってくださいと言われているのに。私はなぜかその差し伸べられた手を取らない。なぜだろう。助けて欲しいと思っているのに行動は全く反対の方向を向いている。自分に限界がきているとわかっているのに、他人にはすぐに手を差し伸べてしまう。自分のことよりも人のことを考えすぎているのだ。

今日は午前中から恋人の家へ行く予定だったが、限界がきていて会いたくないとさえも思っていた。行かずに家に居てもベッドの上に寝転がってただただ日が暮れるのを待つだけだ。実家に居ると窮屈だ。親から色々押しつけられる。親は自分に1人でなんでもできる子になって欲しいらしい。私もそうなりたいとは思っている。だが、まだ働いても居ないので院試の勉強をするしかない。

頭がぐちゃぐちゃだ。予定とやるべきことだけ溜まっていく。まとまらない。

今日のタイトルだが、服を選んでいるときに床に死にかけのゴキブリが転がっていて、自分のようだったのでこのタイトルにした。

休日

最近、学校の課題、部活(美術部、茶道部、射撃部)、院試の勉強などに追われていてゆっくりできていなかった。特に、美術部に追われている。今年からコロナの影響でオンライン学祭になって、オンライン販売と展示の締め切りが早いからだ。部員のうち、私を含む3人でオリジナルの缶バッチを作ることになっている。その段取りは3人で分担してやることになった。また、個人的にアクセサリーを3種類と絵を2枚描く予定だ。絵の締め切りはまだ2週間ほどあるので、少し余裕がある(何を描くかは決めてないが)。茶道部も、この前茶室の清掃がほとんど終わり、次回から活動できる状態にやっとなった。17日に部員と学外の茶会に行く予定である。院試と他の部活との兼業は厳しいからとの理由で茶道部の会計という役割になり、後輩に部長を任せることになってしまったのだが、当然、何をやって良いのかはまだわからない様子なので私が半分部長みたいなものである。少し前までは、後輩に部長を任せるのは色々と不安だったのだが、最近は大丈夫だろうと思っている。コロナ禍で直接業務を教えることができなかったため、色々とすれ違ったりしていたが、茶室を清掃している時の様子を見て、私が思っていたよりもしっかりしているなと感じた。むしろ、私が見習わなければいけないことだと思った。射撃部も何も宣伝していなかったのにも関わらず、食堂に貼ってあった1枚のポスターから新入生が体験入部をしたいと言ってくれ、入部までしてくれた。正直、今年はもう新入生は入らないだろうと思っていたためとても嬉しい。今2回生の後輩ももう少しで銃所持許可証を取得できる。私以外に許可証を取得する部員は初めてのことなのでとても嬉しい。部を設立した当初の目標の1つがやっと達成される。ここまで色々あった。許可証を取得したくても親族から反対され、途中で泣く泣く取得を諦めた部員、住民票の都合で手続きがかなり面倒で辞めた部員など、許可証を取得するということは自分が思っていたよりも長く厳しい道のりなんだとわかった。

ここまでやってきた自分を私はいつも褒めている。

最初の方に書いた通り、今は久々に忙しい。色々なことが急激にスタートしている。上記のこと(+家に夜な夜なやってくる野良犬プードルくん(この話は長くなるので後日書くが))で頭がいっぱいになり、考えずに休みの日を過ごすということは出来ない精神状態だった。しかし、昨日は「休日」というものを久々に堪能できた。恋人の家へ午前中から行き、ゴロゴロし、オムライスを作り、ドーナツを食べ、ピアノを教えてもらって散歩して、晩ご飯を作って食べ、寝る。日常から解放された気がした。特に、小学生ぶりに楽譜を見てピアノを弾いた時間はとても楽しかった。すごく集中していたと思う。集中しすぎて恋人の存在を少し忘れていたのは申し訳なかった。週2,3日恋人と会い、毎日夜は電話しているのだが、凄く楽しいし落ち着く。心に余裕が持てるようになった。日常生活のことを何も考えず、1日を楽しむ日は自分にとって良い刺激だと改めて思った。

1週間、今日からまた頑張ろう。そして、追われる日々を辞めたい。

2つの飛行物体

ブログを書くのは中学2年生以来です。

以前はTwitterに思ったことなどを書いていたのですが、感情的になることが多かったり、しょうもないことばかり呟いたりして最近は他人のツイートを見るか、クラブ活動のアカウントから業務連絡をするばかりになってきていたのもあってブログを開設してみました。

 

昨日は部活帰りに車で恋人の家へ行きました。その道中、空に飛行機のようなものが飛んでいました。私も最初は飛行機かな?と思っていたのですが、すぐに少しおかしいことに気づきました。飛行機のようにピカピカと光っているライトのようなものはあったのですが、同じような飛行体が少し前をずっと同じ距離間で飛んでいるのです。1つの飛行体だとしたらでかすぎるし、間隔が短い一定の距離を並行して飛行機が飛ぶわけもないし、ヘリコプターだと音が多少なりともすると思うし…いったいなんだったのでしょうか?(笑)この時、私はなぜか千と千尋の神隠しの龍の姿になったハクを思い出しました。なんだかロマンチックな気分になった記憶があります。(私は寝ると、前日に起きた良かったことも悪かったこともほぼ忘れてしまいます(笑)でも、こうやって書くことで少しずつ色んなことを思い出してきています)

部活帰りに恋人の家へご飯を食べに行くという行動自体が初めてのことで、自分の家へ帰っているような、自分を待ってくれている人が居るような幸せな感情になっていたのだと思います。

恋人の家のドアを開けると、ちょうどご飯ができた頃でした。支度をして一緒に食べる。この行動はいつも幸せです。恋人も私が来るのを心待ちにしていたようです(笑)ルンルンな感じで可愛いなと思いました。

私は大学院を目指している大学生なのですが、学校の勉強だけは苦手(勉強の仕方がわかっていない)でやばいなと思いつつ勉強が得意な恋人に家庭教師もしてもらっています。良い緊張感があり、博士過程の恋人が研究などを頑張っている姿を見ると私も頑張ろうという気持ちになります。

昨日も恋人がすやすや寝ている傍で勉強を少ししていました。

 

そんな昨日の一連の流れを眠る前に思い出していて、私は家族以外の人間で初めて安心感と信頼感を得ているのだと気づきました。私が学校の勉強が苦手なのも、先生全員に対して不信感があったり、今までわからないところを先生に聞かずに自分の力だけで探していたり、人の勉強方法をあまり聞かなかったり、「わからない」ということに対して恥ずかしいという思いがあったりと、色々理由を付けていたからなのだと思いました。そもそも先生に対して不信感があった時点でなにも信じられないというのはしょうがなかったことだと私自身は思っています。一度、「ぼくたちのこと、そんなに信頼できないかな」と先生に言われたことがあり、「そんなだから信頼できないんだよ」と心の中で思ったことがありました。周囲の人が簡単に先生という存在を信頼できる姿が羨ましくもあり、妬ましくもありました。大学でも、高校生や浪人生だった時ほどではないにしろ、完全には信頼できていないです。

過去の話が長くなりましたが、私にとって家族以外の他人で信頼を置ける人がいるというのは奇跡のようなものなのです。

また、適度な距離があるからこそ「友達」と良い関係を築けるという話を最近友人としていました。簡潔に言うと、「親しき中にも礼儀あり」ということです。恋人とも、適度な距離間があるからこそ良い関係を築けているのだと私は思っています。友達や恋人に関わらず、他人と適度な距離を置くことは、自分にとっても相手にとっても距離がある分、考える時間があるので人任せにならず自分の行動に責任を持てるんじゃないのかなと私は考えています。それが私のモットーです。

つまり、私は2つの飛行物体が同じ距離間でずっと飛んでいるのを見て、だらだらと長く書いた上記のことを思い出しました。千と千尋の神隠しも、思春期である千尋アイデンティティを確立していく物語にもなっていますし、そんな千尋からハクは自分の名前を思い出して自分のこれからのことを自分で決めていますいし、2つの飛行物体とはそういう感じが重なったのかなと思いました。

 

このブログを読んでくださる方がいるのかはわかりませんが、おそらく私が思っているほど私の考えやイメージや記憶などは書けていないと思うので、よくわからないなと思った部分はあなたが物語を作って補正をしておいてください(笑)文章を書くことには慣れていないので、日本語がおかしな部分もあるとは思うのですが、目をつぶっておいてください(笑)

 

 

私の長い長い思春期も終わりに向かっているのかな。